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八幡神社

  • 11001八幡神社
  • 11001八幡神社
神社名
八幡神社
ふりがな
はちまんじんじゃ
宮司名
清家 貞宏
電話番号
0894-22-0384
神社主な祭礼
10月19日 例祭
神社主祭神
湍津媛命(たきつひめのみこと)
大帯媛命(おおたらしひめのみこと)
市杵島媛命(いちきしまひめのみこと)
誉田天皇(ほむだのすめらみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
神社境内社
髪長神杜(髪長媛命)
若宮神杜(大雀命)
愛宕神杜(波邇夜須毘古神、波邇夜須毘売神)
八百萬大神杜(八百萬天神国神)
生目八幡神社(應神天皇、日向三代神、藤原景清公)
多賀神杜(伊邪那岐神、伊邪那美神)
松尾神杜(大山咋神)
萩森神杜(字都宮大神、弓取玉勝神、刀帯速武神)
住吉神杜(底筒男命、中筒男命、上筒男命)
青鷺神杜(日本武尊)
和霊神杜(山家公頼霊神)
鹿鳥神杜(武甕槌命)
高神神杜(大雷神)
龍王神杜(龍神、罔象女神)
天満神杜(天穂日命、菅原道真公)
丹生神杜(天村雲命、罔象女神)
稲荷神杜(宇迦之御霊神)  
大山祇神杜(大山積大神)
氏子祖霊杜(戦残将兵の英霊、氏子組霊神)
神社由緒
八幡浜の地名は「八幡大紳の鎮座する海浜の聚落」の意味で、当神杜の御鎮座と関係が深い。神功皇后三韓征討のとき、皇妹豊媛命が当地に来駕し、壮丁を募り、軍旅を整えたという由縁の霊蹟に、八幡大紳の神霊降臨し、元正天皇の養老元年8月19日神主清家治部大丈清家貞網が、矢野郷三三ヶ村(八幡浜市、西字和郡全域、大洲市のうち野田、平地を含む)の総鎮守として、奉斎、創祀した神杜である。宇佐神宮は、当矢野神山八幡宮より御奉遷し、豊後水道を渡り大分県奈多浜に御上陸、その後、景勝の地を求めて豊後、日向、肥後の各地を巡幸されること8年の後、現在の大分県宇佐都宇佐町亀山の地に御鎮座になったことは、官幣大杜字佐神宮明細帳、宇佐八幡記、県杜奈多神社明細帳、八幡宇佐御託宣集、八幡奈多宮縁起等により明確である。当八幡紳杜の境内一帯は矢野神山と称し、古くより紅楓麋鹿の名勝として知られ、萬葉集にも柿本人麻呂の歌「妻ごもる矢野の神山露霜に匂ひそめたり散らま惜しくも」を始め、歴代の勅撰和歌集に数多くの名歌を載せられた名山旧蹟で、後桜町天皇の明和2年に字和島藩主左近衛権少将藤原村候は深く大神の霊威を感じて、御歌所司中納言冷泉為村卿に検考を請はれ、宮中御歌所に於て審議調査検討の結果、「萬葉史蹟矢野神山は伊豫国宇和郡八幡浜浦八幡宮である」と確定、その祝として明和6年冬為村卿外九卿の矢野神山十景和歌一巻を献納された。当神社は往古よつ、弓矢冥加の守護神として名門武将の崇敬高く、治暦3年に伊豫守源頼義公は、同族河野親経に命じて鎌倉八幡宮に準じて杜殿を再建し、河野通有も弓矢の奉納あり、萩森城主宇都宮房綱も亦、杜殿の造営、祭費を寄進。宇和島藩主も代々尊崇篤く、なかでも村候公は、神杜祭具備品に、藩主家紋の使用を許し、廔々杜参し、祈願した。
 昭和42年10月御鎮座一、二五〇年式年大祭執行・本殿桧皮葺屋根葺替、手水舎、神輿庫、宝物庫、郷土館を再建、杜殿境内を整備した。
神社鎮座地
八幡浜市かみやま510