神社名 |
八幡神社 |
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ふりがな |
はちまんじんじゃ |
宮司名 |
清家 貞宏 |
電話番号 |
0894-22-0384 |
神社主な祭礼 |
1月1日 歳旦祭 4月19日 春祭 7月31日 夏越ワヌケ祭 8月19日 御鎮座記念日祭 10月19日 秋季例大祭 |
神社主祭神 |
湍津媛命(たきつひめのみこと) 大帯媛命(おおたらしひめのみこと) 市杵島媛命(いちきしまひめのみこと) 誉田天皇(ほむだのすめらみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) |
神社境内社 |
髪長神杜(髪長媛命) 若宮神杜(大雀命) 愛宕神杜(波邇夜須毘古神、波邇夜須毘売神) 八百萬大神杜(八百萬天神国神) 生目八幡神社(應神天皇、日向三代神、藤原景清公) 多賀神杜(伊邪那岐神、伊邪那美神) 松尾神杜(大山咋神) 萩森神杜(字都宮大神、弓取玉勝神、刀帯速武神) 住吉神杜(底筒男命、中筒男命、上筒男命) 青鷺神杜(日本武尊) 和霊神杜(山家公頼霊神) 鹿鳥神杜(武甕槌命) 高神神杜(大雷神) 龍王神杜(龍神、罔象女神) 天満神杜(天穂日命、菅原道真公) 丹生神杜(天村雲命、罔象女神) 稲荷神杜(宇迦之御霊神) 大山祇神杜(大山積大神) 氏子祖霊杜(戦残将兵の英霊、氏子組霊神) |
神社当社ホームページ |
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神社御神徳 |
厄除け 安産子育て 病気平癒 勝負の神 |
神社由緒 |
八幡浜の地名は「八幡大紳の鎮座する海浜の聚落」の意味で、当神杜の御鎮座と関係が深い。神功皇后三韓征討のとき、皇妹豊媛命が当地に来駕し、壮丁を募り、軍旅を整えたという由縁の霊蹟に、八幡大紳の神霊降臨し、元正天皇の養老元年8月19日神主始祖清家治部大夫清原貞綱が、矢野郷三十三箇村(旧八幡浜市、西字和郡全域、大洲市のうち野田、平地を含む)の総鎮守として、奉斎、創祀した神杜である。宇佐神宮は、当矢野神山八幡宮より御奉遷し、豊後水道を渡り大分県奈多浜に御上陸、その後、景勝の地を求めて豊後、日向、肥後の各地を巡幸されること8年の後、現在の大分県宇佐都宇佐町亀山の地に御鎮座になったことは、官幣大杜字佐神宮明細帳、宇佐八幡記、県杜奈多神社明細帳、八幡宇佐御託宣集、八幡奈多宮縁起等により明確である。当八幡紳杜の境内一帯は矢野神山と称し、古くより紅楓麋鹿の名勝として知られ、萬葉集にも柿本人麻呂の歌「妻ごもる矢野の神山露霜に匂ひそめたり散らまく惜しも」を始め、歴代の勅撰和歌集に数多くの名歌を載せられた名山旧蹟で、後桜町天皇の明和2年に字和島藩主左近衛権少将藤原村候は深く大神の霊威を感じて、御歌所司中納言冷泉為村卿に検考を請はれ、宮中御歌所に於て審議調査検討の結果、「萬葉史蹟矢野神山は伊豫国宇和郡八幡浜浦八幡宮である」と確定、その祝として明和6年冬為村卿外九卿の矢野神山十景和歌一巻を献納された。当神社は往古より、弓矢冥加の守護神として名門武将の崇敬高く、治暦3年に伊豫守源頼義公は、同族河野親経に命じて鎌倉八幡宮に準じて杜殿を再建し、河野通有も弓矢の奉納あり。萩森城主宇都宮房綱も亦、杜殿の造営、祭費を寄進。宇和島藩主も代々尊崇篤く、なかでも村候公は、神杜祭具備品に、藩主家紋の使用を許し、廔々杜参し、祈願した。 昭和42年10月御鎮座一二五〇年式年大祭執行・本殿桧皮葺屋根葺替、手水舎、神輿庫、宝物庫、郷土館を再建。 昭和53年放火により社殿全焼するも昭和55年社殿再興。 平成29年御鎮座一三〇〇年式年大祭執行。令和4年、同式年大祭記念事業竣工落成奉告祭執行・社務所改修、裏参道バリアフリー化等境内整備。 |
神社神職常駐 |
有 |
神社鎮座地 |
八幡浜市矢野神山510 |
神社駐車場 |
有 本殿裏2台、清水町6台 |