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八幡神社

神社名
八幡神社
ふりがな
はちまんじんじゃ
宮司名
阿部 康茂
電話番号
0894-54-0002
神社主な祭礼
10月 9日 例祭
神社主祭神
品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
狭依比売命(さよりひめのみこと)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
神社由緒
 口碑によれば八幡宮を石清水に勧請された翌年に宇佐八幡宮より勧請したという。
 貞観2年の創立と思われるが、末だ詳かでない。国守の寄進によるものであるという。
 古代の建立による鳥居一基が地震のため転倒し、残った一柱を使用して再建したとの口伝がある、その一柱には「文正丙戌3」との文字があり、再建の一柱には「宝永3稔龍次丙戌云々」とある。
 明治維新まで大杜正八幡宮(字和旧記には正八幡とある)と称し、三崎浦一五部落(三崎町一三部落、瀬戸町田部、大久の二部落)の氏神であったが、漸次各部落に神杜を創設しそれぞれ氏神となり、当杜を総氏神、大氏神と称するようになった。
 江戸時代以降の領藩主の崇敬を受け、藤堂高虎より横笛、猩々毛、伊達秀宗は短刀、伊達宗利は紋章入り提燈、江源氏二宮雅尭は鳥居、伊達村候は神号額、伊達宗紀は白銀、扁額を奉納する外、杜殿の造営修補に際して費用を寄附する等歴代藩主の崇敬篤く、又、参勤交代の際は参拝、又は代参をして海上安全武運長久を祈願し、ご坐船に守礼を奉祀するを慣例とした。
 弘化3年5月、伊達宗城、代官和田貴平、庄官兵頭為親杜殿を再建した,、又慶長年問に再建の棟札がある。
 明治6年11月郷杜に列格、同40年4月、神饌幣帛料供進神杜に指定される。
神社鎮座地
西宇和郡伊方町三崎1番地