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若宮八幡神社(元怒和)

  • 鳥居

  • がいせん松

神社名
若宮八幡神社(元怒和)
ふりがな
わかみやはちまんじんじゃ
電話番号
089-999-0955
神社主な祭礼
10月第2土曜日 秋季例祭
神社主祭神
誉田天皇(ほむだのすめらみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみと)
湍津姫命(たぎつひめのみこ)
市杵島姫命(いちきしまひめのみと)
神社境内社
宮浦明神社(天津児屋根・天太王)
大山積神社(大山祇命外2)
當八幡神社(誉田天皇・保食神)
春日神社(武甕槌命・経津主神)
信宮社(保食命、喜玖理姫命、埴山姫命)
神社御神徳
厄除開運
家運隆昌
神社特殊神事
錦蓋行事:「折居」または「おみどり」引き神楽ともいう。
 中島地区には神社の社種祭神を問わず特殊神事として古くから伝わる「折居」別名「おみどり」という錦蓋行事があります。折居祭りは旧中島町内各十八社において秋の例祭の宵祭り・(宵の申し)に行われる神事である。
神社由緒
 当社は天暦年中三吉五郎左衛門藤原喜基の創祀によるとつたえられている。
 喜基は幼少に父母を失いその族藤原純友に養われ、承平4年純友が誅に服したとき、従者芋岡、田原、村上等の族人と共に密かに逃れてこの島に潜み、三吉氏の裔は代々当社の神職となって奉仕する。
 その後文明五年島尻桑名二村の氏子人民等が神殿を再建する。永正年中河野通宣が暫しこの地に潜んで深く当社を尊崇し神領を献す。慶長2年越智丹波守通春同嫡子信濃守通清等朝鮮征伐に従軍するとき先ず当社に参籠し神前に松樹を植えて戦捷を祈った。寛永5年氏子人民等相議って社殿を再厳島神社築した。
 嘉保2年に藤原喜勝等が神殿を建立し、忽那島大浦から八幡宮を勧請したのが8月15日である。
 境内神社のうち、宮浦明神社及び當八幡神社は嘉保年中三吉喜勝が創祀し、大山積神社は文明年中三吉喜定が創祀し、信宮社は田原氏が斎き、春日神社は村上氏が奉斎したと称する。(大正5年発行の温泉郡神社誌より現代仮名遣いにし転記した。)
神社鎮座地
松山市元怒和字宮浦甲1711
神社駐車場
無 (参道入口の農道に数台分)