神社名 |
矢矧神社 |
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ふりがな |
やはぎじんじゃ |
宮司名 |
田窪 伸吉 |
電話番号 |
0898-56-3063 |
神社主な祭礼 |
5月3日 例大祭 |
神社主祭神 |
天峡貫王(あまさぬきのおう) 誉田別命(ほむだわけのみこと) 武内宿禰(たけうちのすくね) 日本武尊 仲哀天皇 神功皇后 |
神社特殊神事 |
にわか芝居 5月3日に上演される場華芝居は獅子舞と一体になって行われ、その形態が国内唯一のものであり「朝倉にわか芝居」と呼ばれており、県無形文化財、故郷創造賞も受けている。 |
神社由緒 |
社伝によると、二名の州の主で越智氏の祖、小千の天狭貫王の廟として祀られ、往古には朝倉宋廟本社と号していた。斉明天皇(37代天皇)朝倉へ御幸の時ご参拝あってその時に朝倉の宮と改める。弘仁11年(820)八幡宮を御勧請、その後、清和天皇(56代天皇)の御代に朝倉宋廟八幡宮と改められる。 以前は八幡ヶ窪に御鎮座、社地八丁四方を有し(本郷・宮の窪・立丁・新田等の地名が残る)高縄山城主河野公の祈願所となり祭礼も盛大に行われていたが、天正10年(1582)の戦乱の被害により古文書等損失、社殿も荒廃して維持が困難になり慶長18年(1613)現鎮座地に奉移、八幡ヶ窪も元禄6年(1693)田地となる。相殿の矢番大明神は、元岡氏が上総国箕島より迎えて祀ると云う。 延宝5年(1677)矢矧神社と改め今治城主松平公の祈願所となる。 |
神社鎮座地 |
今治市朝倉北字大谷甲42 |
神社駐車場 |
無 |
氏神地域 |
朝倉上・朝倉下・朝倉北・朝倉南・長沢・孫兵衛作 |