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八幡神社

神社名
八幡神社
ふりがな
はちまんじんじゃ
宮司名
竹内 啓
電話番号
0896-56-2065
神社主な祭礼
10月13日~15日 例祭
神社主祭神
足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
誉田別天皇(ほむだわけのすめらみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
神社境内社
天満宮(菅原道真公)
牛頭天皇社(素盞鳴命)
荒神宮(奥津日子神、奥津比売命)
合祀社(河上但馬守、底筒男命、中筒男命、表筒男命、崇徳天皇)
神社特殊神事
神輿神幸祭(陸幸、海幸) 10月15日
百手祭 3月第1日曜日
神社由緒
 推古天皇6年(598)に豊前国宇佐本宮より御分霊を勧請したという。当初は旧川之江市金生町山田井切山に鎮座していた。その後、後冷泉天皇の康平年間(1058~1064)に伊予守源頼義が川之江町畠山に社殿を造営し、治暦元年(1065)8月13日に奉遷した。『予章記』に「頼義御務メ之時、彼ノ命二依リ、八箇所ニ八幡宮ヲ建立ス」と記述のある伊予国八箇所の八幡社の一社であるとされる。奉遷の際、頼義より幣帛、神饌、太刀、弓箭等の献納があった。天正10年(1582)に長曽我部元親の手によって社殿が焼かれ、寛永3年(1626)に社殿を再興したが、正保3年(1646)12月に再び社殿が焼失し、旧記、宝物等の大半を失った。その後、慶安元年(1648)に水利の便の悪い畠山から現在の亀嶋に社殿を新築した。その際、足仲彦天皇、気長足姫命を勧請合祀したという。歴代の領主の崇敬厚く、戦国時代の川之江城(仏殿城)主河上但馬守は畑三百石の寄進を行い、江戸初期の川之江藩主一柳美作守も篤く崇敬した。土佐藩13代山内豊熙は参覲交代の海上安全を祈念して一対の石燈籠を寄進した。嘉永4年(1851)に社殿が三度目の火災に遭い、村民協力し辛苦の末、8ヶ月を要して安政5年(1858)3月2日社殿を再興、遷座した。明治5年(1872)郷社となり、同13年(1880)11月県社に列格する。昭和60年(1985)、本殿屋根の葺き替え等の改修工事を行い、現在に至る。
神社鎮座地
四国中央市川之江町2527
氏神地域
〒799-0101 四国中央市川之江町
〒799-0125 四国中央市柴生町
※柴生町のうち北柴生地区、長持地区のみ