神社名 |
早虎神社 |
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ふりがな |
はやとらじんじゃ |
宮司名 |
立野 好仁 |
電話番号 |
0892-55-0129 |
神社主な祭礼 |
11月13日 例祭 |
神社主祭神 |
素盞鳴命(すさのをのみこと) 大山積神(おほやまつみのかみ) 大市日女神(おほいちひめのかみ) 萱野比売神(かやぬひめのかみ) |
神社境内社 |
鎌倉正八幡宮(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、天一目命) 池野神社(罔象女命) 日野天満宮(菅原道真公) 杵築神社(大国主命、事代主命) 熊野神社(豊受姫大神、八意思兼神) 早高神社(下照姫命、高木神) 新田二社神社(海津見大神、水波能女大神) 十二社神社(国常立命、豊雲野命、宇比遅迩命、角杙神、活杙命、大戸迺辺神、伊弉冊尊、伊弉諾尊) 厳島神社(市杵島姫命、事代主命) 八幡宮(八千才命) 三峯神社(大山積大神、鹿屋野姫命) 三社宮(天御中主大神、高魂神、神魂神) 日野三社八幡宮(火魂神、水波能売神、日比佐古神) 産母神社(木花咲夜姫命) 恵比須神社(大国主大神、事代主大神) |
神社由緒 |
柳井川邑総鎮守の神である。 社伝によると飢饉の年に柳井渕に白髪の老翁が二人を従えて現れ、続いて美女二人が現れ、何れも衣冠束帯にて五穀の包みを多数積んで人草を救助し、農耕の道を設く。側に大樹の楊が渕の空を覆って、夜毎その梢に光明を放って昼の如く、近郷の民草が慕い来るものその数を増すとき、天空俄かに改まり、雷鳴轟き風雨激しく、神の御姿を巻き上げ消え失せ、村人畏んで神託を乞うのに、五穀養生神であるとのお告げがあったと伝えられている。 この渕の側に古宮一社を創建し、楊井河内五社大明神と号した。その年月日は未詳であるが、社伝によれば神亀5年とも、推古天皇4年とも伝えられ、仁平3年10月に源朝臣頼政公が心願あって現境内地へ移転再建し、早虎五社大明神と号した。又、楊宮ともいう。 元弘3年河野通村、通俊が神領寄進、延元五年満良親王が武運祈願、康応元年社殿再建、明治5年定格、同41年幣帛共進指定となり、同44年総高地神社を合祀、昭和22年総高地神社を分社、同33年拝殿、幣殿を新築した。 |
神社鎮座地 |
上浮穴郡久万高原町柳井川字本村1720-1 |