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多伎神社

  • 紅葉の神橋から拝殿を望む

  • 奥の院 磐座

神社名
多伎神社
ふりがな
たきじんじゃ
宮司名
沼﨑 守文
電話番号
0898-22-3393
神社主な祭礼
 4月10日前後  祈年祭
 5月5・6日    例大祭
 7月28日     輪越祭
10月第4土・日曜日 秋祭り
12月第3日曜日   新嘗祭
神社主祭神
須佐之命(すさのをのみこと)
多伎都比売命(たきつひめのみこと)
多伎都比古命(たきつひこのみこと)
神社境内社
天満神社  高市郷 総鎮守 <相殿に 大巳貴・山之・御鉾・鷹取(城主正岡紀伊守)神社
一宮神社  かっては古谷村の氏神社(以上明治末年氏子内の場所から現在地に移築)
清水社
越智社
大仲社
神社御神徳
 社殿前方を流れる多伎川は奥の院の磐座を源とし、その水は霊水と云われ重病人をも救い極めて霊験あらたか。
 多伎川は頓田川の支流にして、その水源は奥の院の磐座にあり、社殿前方を流れる。また農業用水路として上流から取水した水路は社殿到近にきて御手洗川となる。この水に霊験あり。 
 このお社には昔から伝説的な話も含めて霊験話数多く、一方神罰が当たったという話も多く小冊子が作れるほど。
神社特殊神事
笠鉾祭り 
5月1日 午後3時
藩政時代中期頃、山口村で牛馬の疫病が流行して、農家の大切な牛馬が多く死んでいった、それ以後牛馬の疫病封じのために始まった。
*笠鉾は、笹に産着を括ったごく素質なもので、当日山口地区の人々が持ち寄り、祈願祭の後(マーマイソカーカイソ牛馬が繁盛するように)と唱えながら拝殿内を3回、社殿周辺を1回廻る。
神社由緒
 この地は弥生時代後期の集落跡・水田跡多数あり、20年程前圃場整備の際、全国的にも大規模な穀物地下貯蔵庫が発見された。
 集落のある処に神祭あり、磐座を依り代として水分(みくまり)の神を崇め相集い祭祀をしたものと思われる。現在の地を神の杜としたのは、周辺の古墳群との関わりが多く、この時代に遷されたものと推測する。 
 多伎宮の語源は、多伎川に数ある瀧ではなく、嶽(天道ヶ頭 510.3米、及び8合目に座す磐座)が訛ってタキになったのではないかと思われる。社名・ご祭神名はこれに由来すると思われ、主祭神須佐之男命は後世勧請されたのではないだろうか。当神社は文献によると崇神天皇の御代ニギハヤヒノミコト六代の孫伊香武雄命「瀧の宮」の社号を奉り初代の斎宮となられたと記されている。 
 清和天皇の貞観2年(860)神階を賜り大三島さん、伊曾乃さんと相並んで数度に亘り昇格し、貞観12年正四位上に昇る。 
 醍醐天皇の延喜年間(905)明神大社の光栄に預かり、皇室より久しく特別の待遇に浴し、時代とともに国司・守護職・藩主の信仰をあつめた。 
 伊予国神社仏閣免田注進記(慶長7年 1256)によると「瀧宮神田三町一反 神領多く11寺の別当あり」と伝えられる。 
 江戸時代今治藩の祈願所として雨乞い祈願のたびごとに藩主の参拝あり、7日間の祈願は中日まで本殿で、後半を奥の院の磐座にて一社伝来のしきたりによって執り行われ必ず霊験を戴いたという。 
 明治4年郷社に列し、同13年に県社に列格。 
神社鎮座地
今治市古谷乙47番地
神社駐車場
有 25台