神社名 |
高家八幡神社 |
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ふりがな |
こうけはちまんじんじゃ |
宮司名 |
都子野 清明 |
電話番号 |
089-972-1701 |
神社主な祭礼 |
旧暦2月始の卯の日 卯の日祭 10月6日、7日 例祭 |
神社主祭神 |
健磐龍命(たけいわたつのみこと) 應神天皇(おうじんてんのう) 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 三女神(さんじょしん) |
神社境内社 |
素鵞神社(建速須佐之男命) 奈良原神社(保食神) 生目八幡神社 高津神社 高良神社 境外社:忽那社 |
神社由緒 |
神武天皇(在位紀元前660~紀元前585年)の第二皇子神八井耳尊の御子を健磐龍命と申し奉る。 健磐龍命の後裔が伊予に来て、健磐龍命を祀り、阿蘇宮と称した。また、社記によれば、健磐龍命の第三男子の健岩古命が伊予の賊を征伐し、伊予に住み(岩古山)、久米部山部小楯の遠祖となるという。 朱雀天皇(在位930~947年)の御宇、楠戸根千代は阿蘇宮を深く尊崇し、藤原純友の征伐を祈り、朝山宮と改称した。征伐後、社殿を改築し、神田を献じて凱旋の式を挙げた。天慶5年(942年)、宇和島五太夫越智通季は神田を献じ祭祀を厚くした。 天暦元年(947年)、山城国の加茂の斎院に仕えた一色式部太輔氏勝は、当地に来て高家山(烏山)に八幡大神、加茂大神を勧請した。その後、地名の三院に斎院の文字を用いるようになった。 正治2年(1200年)、高家山の八幡宮は火災焼失し、朝山宮に相殿となり、朝山高家八幡宮と称したが、いつしか高家八幡宮とのみ称えるようになった。 康永元年(1342年)、河野新三郎が社殿を改築し、元禄6年(1693年)には藩主が修復した。その後、岡田長房等の改築が数度あった。 |
神社鎮座地 |
松山市北斎院町295 |
神社駐車場 |
有:2台(境内横) |
氏神地域 |
〒791-8031 松山市北斎院町 |