神社名 |
高縄神社 |
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ふりがな |
たかなわじんじゃ |
宮司名 |
玉井 利幸 |
電話番号 |
089-992-0842 |
神社主な祭礼 |
1月1日 歳旦祭 4月 祈年祭 7月31日 夏越祭 10月3連休初日 例祭 10月3連休2日目 神幸祭 11月23日 新嘗祭 |
神社主祭神 |
大山積神(おほやまつみのかみ) 高龗神(たかおかみのかみ) 鳴雷神(いかづちのかみ) |
神社境内社 |
十六王子社(市杵島姫命、外十五柱) 祖霊社(氏子祖霊) 御先社(猿田彦命) 稲荷社(豊受大神、倉稲魂神) 金刀比羅社(金刀比羅大権現、須佐之男神、大山積神) |
神社由緒 |
三代実録に「貞観5年9月25日甲寅授伊予国正六位上高縄神従五位上」と所載されている。昔、越智高縄が高縄山の頂上に居城を築き大山積神を尊崇し、新羅征討に従軍の節、神護によって大勝を得てから一層敬神の念を深めた。 後に越智益躬が親しく三島神に奉仕しようと高縄山の天神森に社殿を造営して、大山積神を勧請した。以後、越智一族は当社を氏神として尊崇した。 保延2年河野親清がト占の結果、現在の地に奉還して高縄三島神宮と称し、神田を寄進し裔孫通直の世に及ぶまで祭祀を執行した。福島正則が伊予を領して神田を没収したため、社運衰えた上、慶長5年松前城の将、中島勝右衛門の放火で神器宝物が灰塵となった。 後に松山城主久松氏社殿を建造して旧に復し、明治3年社号を高縄神社と復旧、明治4年郷社に列し、明治28年1月15日県社に昇格する。 十六王子社 御神像十六軀は社伝に元明天皇の和銅年間に奉安されたものという。 |
神社鎮座地 |
松山市宮内甲102番地 |
氏神地域 |
〒799-2441 松山市宮内 〒799-2436 松山市河野別府 〒799-2444 松山市横谷 〒799-2443 松山市善応寺 〒799-2445 松山市河野高山 〒799-2437 松山市夏目 〒799-2438 松山市河野中須賀 〒799-2439 松山市片山 〒799-2442 松山市常保免 〒799-2446 松山市牛谷 〒799-2447 松山市佐古 〒799-2434 松山市柳原 〒799-2435 松山市府中 |