神社名 |
大西神社 |
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ふりがな |
おおにしじんじゃ |
宮司名 |
及川 徹也 |
電話番号 |
0896-58-4702 |
神社主な祭礼 |
1月 1日 元旦祭 5月 5日 春季例祭 7月 9日 夏輪越祭 |
神社主祭神 |
大西備中守元武朝巨霊(おおにしびっちゅうのかみもとたけ) 小次郎武氏之霊(こじろうたけうじ) |
神社境内社 |
山神社 杉乃神社 宇和神社 荒神社 轟神社 本居神社 天満宮 地神社 石鎚神社 若宮神社 今宮神社 杵築神社 御先神社 金毘羅宮 |
神社御神徳 |
家内安全 育児 厄除け 病気平癒 |
神社特殊神事 |
5月4,5日 例大祭時に氏子子弟による「笹踊り」 「子踊り」を奉納する。 |
神社由緒 |
ご祭神大西備中守元武公は歴代の阿波三好郡白地城主で、金川轟山をもち、阿波、伊予の所領を治めていた。元武公は阿波の豪族三好氏と組んで長曽我部氏にあたろうとした。しかし、宇摩郡内の諸将は長曽我部氏には到底叶わないと元武公を裏切り、長曽我部氏に通じた。元武公はその首謀者であった松尾城主、真鍋左ヱ門を討とうとして天正5年(1577)7月、松尾城に兵を進めた。しかし大敗し、二人の弟を失い、一子小次郎を伴い轟城を離れ、金川村国秀の山川五郎左ヱ門に忍び隠れた。そして7月9日夕刻、川上但馬守の残党や長曽我部氏らの手により急襲され小次郎は討たれ、翌10日未明、元武公も自刃した。 その悲惨な最後を悼み、東金川神の内に山川国武(国秀の嫡子)が祠を建て、大西氏父子の御霊を奉祀した。これが当神社の発祥である。以来、明治7年5月頃に東金川神の内にあった祠を現在の地に移転し、同時に村内随所にあった小社も合祀した。 |
神社鎮座地 |
四国中央市金田町金川乙383 |
神社駐車場 |
有 15台 境内周辺 |
氏神地域 |
〒799-0123 四国中央市金田町金川 |