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八幡大神社

神社名
八幡大神社
ふりがな
はちまんだいじんじゃ
宮司名
安藤 史典
電話番号
0896-77-5623
神社主な祭礼
1月 1日 新年祭
4月 春祭り
7月 2日 夏越祭
10月15日 大祭(野田地区)     
10月23日 大祭(長田豊田地区)  
11月23日 新嘗祭
神社主祭神
帯仲津彦命(たらしなかつひこのみこと) 
仲哀天皇(第14代)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
神功天皇(第14代皇后)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
應神天皇(第15代)
神社境内社
鳴神神社
恵美須神社
新田神社
素稲神社
荒神社
出雲神社
吉備津神社
神社由緒
当宮のご祭神は、応神天皇とその父君である仲哀天皇、そして母君の神功皇后の親子三神である。古来、大陸文化を取り入れ日本文化の興隆をはかられた御神徳が仰がれている。又、三大神は親子の関係で、その固い絆から、子育て厄除け八幡神、子安神とも称され、とくに母が子どもを抱きかかえ、慈愛をもってこれをはぐくみ育てる大愛を本願とされている。母の愛こそは、純の純たるものであり、信仰の土台たる所以をもって、祖先より今日にいたる氏人の八幡大神信仰そのものであると信じる。
平安時代第60代醍醐天皇(在位897~930)の御代山城国石清水八幡宮より御三柱の御分霊を御勧請し藪床八幡宮と称せり、延長4年(926)今の鎮座地に社殿が完成。その後第71代後三条天皇(在位1068~1072)の御代河野親経公の崇敬するところとなり、社号を正八幡宮(現在、森首に在る「一の鳥居」に記されている)と改称された。古来より野田村・長田村・豊田村の氏神である。
15世紀末~16世紀末の戦国時代(1467~1591)となり渋柿城主薦田治郎之進義清公の崇敬篤く、社殿の造営等あり、その後、後西天皇・霊元天皇在位中の寛文年間(1661年~73年)より十有年の間、一柳権之丞殿が八日市に館を設け当社を祈願所とせられ、その後西條領に属し、御代参等あり。
現在の社号は、明治の御代となり、八幡大神が応神天皇の御神霊であるという説が全国的に広まってから八幡大神の社、「八幡大神社」と改められ今日に至ると伝えられている。
神社鎮座地
四国中央市土居町野田甲1203
神社駐車場
有 10台
氏神地域
〒799-0705 四国中央市土居町野田 ※野田全域
〒799-0435 四国中央市豊岡町長田 ※長田全域
〒799-0433 四国中央市豊岡町豊田 ※豊田全域