伊豫稲荷神社の楼門(愛媛県指定有形文化財)
神社名 |
伊豫稲荷神社 |
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ふりがな |
いよいなりじんじゃ |
宮司名 |
星野 暢廣 |
電話番号 |
089-982-1060 |
神社主な祭礼 |
2月17日 祈年祭 旧暦2月最初の午の日 初午祭 7月20日 土用干祭(夏越祭) 10月第二土曜日 例大祭 (第二日曜日 神輿渡御) 11月23日 感謝祭 |
神社主祭神 |
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) 邇々芸命(ににぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 菊理比売命(くくりひめのみこと) 大宮能売命(おおみやのめのみこと) |
神社境内社 |
庚申社/猿田彦尊(さるたひこのみこと) 田中社/田中大神(たなかのおおかみ) 四大社/四大神 *田中社と相殿(しのおおかみ) 海津見社/海津見神(わたつみのかみ) 新田社/新田義治候(にったよしはるこう) 恵比須社/恵比須神 *庚申社と相殿(えびすのかみ) ≪御山鎮座社≫ 久美社/金毛九尾の狐霊(きんもうきゅうびのこれい) 命婦社/命婦霊(みょうぶれい) 五臓社 /事振魂命 (ことふるたまのみこと) /天道本聖性命 (あめのみちもとひじりたまのみこと) /壽根霊命 (いのちねのきみたまのみこと) /表通精命 (うくつとおりたまのみこと) /人體振魂命 (ひとふるたまのみこと) |
神社御神徳 |
人間の衣食住の神、また産業の守護、人生における病や厄災を除き活動力や気力や生命力を幸わえる神として広く信仰されてきた。 商売繁昌・産業興隆 家内安全・家屋敷守護 厄除・悪運星祓(星守) 安産 願掛成就 |
神社特殊神事 |
初午祭当日、一年間ご家庭で祭った古いお多福神面のお焚き上げ神事を執り行い、新しいお面を氏子崇敬者へ授ける。 *「お多福神面」とは、大宮能売命(祭神の一柱)のお姿であり、厄除神で家内安全、家庭円満のご利益がある。 |
神社由緒 |
弘仁年間、伊豫国司が山城国伏見稲荷社より御分霊を勧請し祀ったと伝承される。 仁平3年、朝廷より山城国稲荷社の荘園として認可を得て、氏子地域は「山崎の荘(やまさきのしょう)」と称された。 河野通有は、弘安の役での軍攻に対して朝廷より賜った「山崎の庄(やまさきのしょう)」を守護神大三島宮(今の大山祗神社)に寄進。以来、河野一族の篤い崇敬があった。 江戸時代、大洲新谷両藩の祈願所として仰がれた。 神仏習合の時代、参道には谷上山宝珠寺より十二坊が建ち並んでいた。神社の祭典の斎主を一つ一つ僧侶が行い始め、最後に残る例大祭も同様になるに及び、神主星野右京太夫は宝珠坊へ談判に行き「唯一神道」を唱え僧侶を追い払った。当神社は明治時代の神仏分離より約220年早く、元来の「唯一神道」の形へ戻った。 享和2年、朝廷より「正一位」の御神威を賜る。明治4年に郷社になり、昭和八年に県社に昇格。昭和45年、楼門が県の指定文化財に指定された。 それ以前は不明だが、江戸時代後期から昭和30年頃にかけて、当社の初午祭は今の正月以上に賑っていた。 昭和末期より四国曼茶羅霊場49番札所となり、平成初期より伊豫七福神1番札所として登録。 |
神社鎮座地 |
伊予市稲荷1230 |
神社駐車場 |
有 社務所前に2台程度、その先に進み、左折し下り約20m先 右側の更地の広場約15台 |