神社名 |
宮内神社 |
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ふりがな |
みやうちじんじゃ |
宮司名 |
真鍋 淑江 |
電話番号 |
0898-66-3811 |
神社主な祭礼 |
10月15日 例祭 |
神社主祭神 |
大山祇神(おほやまつみのかみ) 高龗神(たかおかみのかみ) 雷神(いかづちのかみ) |
神社境内社 |
生田社(稲田女命宮社(仁徳天皇) 荒神社(須佐之男命) 庚神社(猿田彦命) 天神社(菅原道真公) 水神社(水波之女神) 蛭子社(事代主神) 白山社(大山咋命) 祖霊社(神主家祖霊) 狸神 |
神社由緒 |
由緒については種々の伝説があり、二三について記す。 舒明天皇行宮の古跡であり、天皇の御世11年12月伊予国国司に勅して大三島明神を勧請し、三島新宮と称した。また行宮を津ノ宮と号し、これが郷名になって津宮郷と同地方が唱えられた。 斉明天皇崩御の際には、当神社に奉幣勅願があり、また貞観13年6月(871)に勅して全国の名社に祈雨祭を行わしめられたとき、伊予国桑村郡津ノ宮大明神の神名が列せられている。 寿永年間(1182~1184)源平合戦の際、社殿が炎上したが、文治2年(1186)になり、河野通俊が社頭を改造し、神領も旧の如く寄進した。 南北朝時代代千町原大合戦の時、再び炎上し、宝器等も消失した。 延元2年3月(1337)征南将軍宮満良親王(後醍醐天皇皇子)御願あって御太刀を添え奉幣の式が執り行われた。 天正13年8月(1585)小早川隆景が耒攻の時、その陣営となり、越智、櫛部勢等との決戦があったため、社頭は残らず炎上し、神宝も悉く消失した。 延文4年(1359)6月の旱魃の際、神主藤原松麿に周布・桑村両郡の雨乞を命じられた記録もある。 社号も何度か変更があったようである。史書に、周敷宮内大明神、津宮周敷大明神、三島新宮、宮内大明神と記されているのを見るが、寛文年間(1661~1672)に今の宮内神社と改められたことは棟札等により立証されている。 松山藩との関係は城主が神領の寄進、社殿の再建、社殿の修治の他、歴代城主の社参、金穀の寄進等があり、大層深いものがあったようである。〔寛永15年9月(1638)、寛文13年5月(1673)、宝永3年5月(1706)、享保16年(1722)など〕 現在の本殿は天保4年(1833)、拝殿は明治初期の建築とのことである。 氏子は河原津、黒之谷並びに河之内の一部を除き、河北一帯旧三カ村(庄内・三芳・楠)の全域千余戸、旧称六千石の地に亘り、古の津ノ宮、御井両郷の総氏神として崇敬されている。 なお秋祭りには三体の神輿が三地区に分かれて御巡行する。子ども神輿、獅子舞、祝太鼓なども宮出しに参加し祭りを盛りたてている。 |
神社神職常駐 |
あり |
神社鎮座地 |
西条市宮之内47,48 |
神社駐車場 |
有 50台 |
氏神地域 |
〒799-1312 西条市大野 〒799-1314 西条市河之内(一部) 〒799-1302 西条市楠 〒799-1317 西条市実報寺 〒799-1313 西条市旦之上 〒799-1316 西条市福成寺 〒799-1311 西条市宮之内 〒799-1301 西条市三芳 |