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護運玉甲甲賀益八幡神社

神社名
護運玉甲甲賀益八幡神社
ふりがな
ごうんたまかぶとかがますはちまんじんじゃ
宮司名
近藤 憲史
電話番号
0898-66-3272
神社主な祭礼
10月16日~18日 秋の例祭
神社主祭神
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たきつひめのみこと)
武内宿彌(たけしうちのすくね)
神社境内社
和霊大明神
糸崎八幡宮
河野明神
蛭子大神宮 ほか16社
神社御神徳
伊予守源頼義公より六孫王(経基王)以来相伝の密法たる開運護甲の神主相伝の秘法
神社特殊神事
10月17日 獅子舞・巫女舞・奉納子供相撲
神社由緒
 勧請年月不詳。社伝によると、仲哀天皇・神功皇后が紀伊の国より南海道に巡幸のとき、行宮(宿泊所)をこの地に作りなさった夜、その夢の示現により神功帝はこの山に登り、諸神を礼典なさったことからこの山が「神齋山カミイワイヤマ」と呼ばれ、後に里人が社を建てたことに起源する1600年の歴史を有する古社である。この時の祭神は吉岡宮に坐す吉岡の神と猿田彦神、二神と伝えられ、天智天皇6年(667年)2月1日、国司土師連(ハジシノムラジ)この地を通行のとき、老翁が現れ、我八幡大神と共にこの地を守護しようと言い、誰かと訪ねると猿田彦神と言う。国司は勅許を得て宮殿を建て、猿田彦命を祀り、後、八幡社も合祀した。
 その後、興國4年(1343年)2月3日、南朝勅願所の旨を以て再建の勅使が有り、御衾田の下賜御書があり現存す。
文明7年(1475年)2月将軍足利義尚公より社領寄付状あり、南朝、足利尊氏共に祈願所と為す。
また伊予守源頼義公より六孫王(経基王)以来相伝の密法たる開運護甲の神主相伝の秘法があり、
これを以て河野家数代の祈願所となる。異例の長い社名はその霊験にちなんだものともいう。
後、松山藩主久松定行、永應2年(1653年)社殿を再修し、久松家祈願所となり、明治5年(1872年)郷社に編入され今日に至る。
神社鎮座地
西条市上市甲460
神社駐車場
有 10台