神社名 |
桑原八幡神社 |
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ふりがな |
くわばらはちまんじんじゃ |
宮司名 |
石丸 剛司 |
電話番号 |
089-931-8364 |
神社主な祭礼 |
1月 1日 歳旦祭 7月31日 夏越祭 10月 6日 例祭 |
神社主祭神 |
誉田別尊(ほだわけのみこと 17代 応神天皇) 足仲彦尊(あしなかひこのみこと 16代 仲哀天皇) 息長足姫尊(いきながたらしひめのみこと 神功皇后) 姫大神(ひめのおおかみ) 大山積神(おおやまずみのかみ) 雷神(いかづちのかみ) 高神(たかおがみのかみ) 【配神】 天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと) 木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと) 岩長姫命(いわながひめのみこと) 菅原道真(すがわらみちざね) 合祀社神 |
神社境内社 |
素鵞神社(素佐之男命) |
神社由緒 |
【桑原八幡神社】 社記によれば桑原村古宮に姫大神鎮座、履中天皇(400~405)の勅願所であったという。貞観元年(859)四月八幡宮を合祀し、延久年間(1069~1073)伊予守源朝臣頼義公が当国鎮護として八社八幡宮を定め、二番社として社殿再建、祭器料として神田を献じた。寛治二年(1088)現在地に移転、元弘三年(1333)八月河野通村が主社殿を再建、文中三年(1374)四月兵火に躍り神宝社記悉く焼失したが天授二年(1376)八月河野通定が社殿を再建し、天文十一年(1542)八月河野通康が主社殿再建、寛永十二年(1635)十二月国命で社殿を再建した。寓治二年(1659)松山藩主松平走行が束野へ別荘を建て、当社を祈願所と定めて鼓一個紋付提灯を奉納、祭祀の節に忌竹を献納した。延宝七年(1679)五月社殿再建、正徳五年(1715)八月石鳥居を建立した。 【三島神社】 仁徳天皇の御代(420頃)に創建と伝えられている。聖武天皇神亀五年(728)八月越智玉純が大三島より雷神、高神を勧請合祀して三島宮と定め、三島新宮と称え、圭田を献納し、爾後郡司幣帛を奉って祭典を厳修した。延久年間(1069~1073)伊予守源朝臣頼義が社殿再建、弘安四年(1281)九月河野対馬守通有が奉賽、社殿を再建した。文中三年(1374)三月兵火に罹り、神宝古器等を焼失、天授二年(1376)八月河野通定が社殿再建した。萬治二年(1659)三月松山藩主松平隠岐守定行が東野へ別荘を建てて以来、当社を崇敬し、紋付提灯を奉納、祭祀の節には年々忌竹を献じた。宝暦十二年(1762)火災にて神宝社記を焼失、同年二月社殿を再建した。 【桑原八幡神社・三島神社】 鎮座する位置から、桑原八幡神社は『東の宮』、三島神社は『西の宮』とも呼ばれて親しまれておりましたが、昭和四十六年(1971)桑原八幡神社に三島神社を合祀して、現在に至っています。 |
神社神職常駐 |
あり |
神社鎮座地 |
松山市畑寺町440番地 |
神社駐車場 |
有 |
氏神地域 |
〒790-0962 松山市枝松 〒790-0911 松山市桑原 〒790-0963 松山市小坂 〒790-0914 松山市三町 〒790-0904 松山市正円寺 〒790-0865 松山市新立町 〒790-0905 松山市樽味 〒790-0916 松山市束本 〒790-0866 松山市永木町 〒790-0877 松山市錦町 〒790-0913 松山市畑寺 〒790-0912 松山市畑寺町 〒790-0903 松山市東野 〒790-0961 松山市日の出町 〒790-0915 松山市松末 〒790-0012 松山市湊町 |