神社名 |
貴布禰神社 |
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ふりがな |
きぶねじんじゃ |
宮司名 |
光永 守吾 |
電話番号 |
0898-54-3016 |
神社主な祭礼 |
10月10日 |
神社主祭神 |
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高龗神(たかおかみのかみ)闇龗神(くらおかみのかみ)水波能女神(みずはのめがみ) |
神社境内社 |
正八幡神社 |
神社由緒 |
貴布禰神社は、六三九年(飛鳥時代)、舒明天皇が伊豫温湯に行幸あそばされたおり、御船を当社より十町西北の碇ガ浦(いかりがうら)に 停泊され、御上陸なさって留山(とまりやま)山頂にお登りになり、行路の安全を祈願するためお祭りされた大神である。 奈良時代、七二八年、聖武天皇の御世、詔勅が伊豫の国司越智宿祢玉純(おちのすくねたまずみ)に出され、山城国愛宕郡貴布祢神社より 「水波能売命(みずはのめのみこと)・高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)」の三尊を勧請した。 本社はおそらくは勅願の神社であるので、河野家もまた代々崇敬が厚く、嘉慶元年(一三八七)、現今の社地に移り社殿を建てた。 豊臣秀吉の四国征伐により河野氏が衰微すると当社も衰微し、旧観を失ったが、江戸時代、松山藩久松家の御祈願所となり、明治四年の廃藩 までは、武運長久・五穀成就の祈祷を執行していた。 |
神社鎮座地 |
今治市菊間町種3812番地1 |
神社駐車場 |
有 |
氏神地域 |
菊間町種 |